Top > ママのきもち > 二人目妊娠時のきもち > 意地を張ってるわけではない
私が持っている不安は、おそらく、一般的な妊婦さんと同じレベルじゃないかと思うのです。それほど悲観的ではありません。むしろ、この妊娠自体とても喜ばしい気持ちのほうが大きいのです。
私が羊水検査を受けないのは、母への意地からではありません。決して。
意地を張る問題ではないと思うのです。
わたし自身も、夫も、「必要ない」と思っているのです。
仮に、母を納得させるために羊水検査を受けたとしましょう。
染色体異常ではないという結果が出たとしてたら、母は両手放しで喜べるでしょうが、私たち夫婦は喜べないと思います。もちろん、「ホッ」とはするでしょう。
また、染色体異常があった場合でも喜べないと思います。当然ですけど。
いずれの結果にせよ、私たち夫婦にとってプラスになることはひとつもないのです。さや獣のことを考えれば、両手放しで喜べない。かといって、染色体異常があっても喜べない。
喜ぶのは、羊水検査を切望している母をはじめ、私の親族だけだろう。
羊水検査をすれば、誰もが納得して丸く収まるというのは、違うと思う。
そこに、私たち夫婦の我が子に対する思いというのは重要視されていません。
この際、私たち夫婦の気持ちなんてどうでも良いのでしょうか。
母さえ納得すればそれで万事オーケーなんでしょうか。
「私たちを納得させるためにも、羊水検査をして欲しい」というのは、緩やかではあるけれど、考えの押し付けにはなっていないか。
それでも検査をしないで産むつもりならば、一切の援助はないと覚悟しなければならないというのも、なんだか矛盾していないだろうか。
私が今までブログでつぶやいていた「家族としての機能」が全く果たされていないことに、改めて寂しさを感じました。
たしかに、私は両親にとって不良品とも言えるくらい、できの悪い娘でした。
たくさん心配もかけたし、たくさん苦労もかけたと思います。
「あんたを引き取って、あんなに苦労したのに」と言いたい気持ちはわかります。
だけど、それとこれとは話は別なんです。
母を納得させるためだけに、不本意だけど羊水検査をしたとして、もし、流産を引き起こすことになったとしたら。
きっと、私たち夫婦に残されるものは「恨み」です。
恨みなんて持ちたくないのです。人を恨んで得られるものなんて何一つない。
それが一番の理由かもしれない。
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