« タブーといわれること | メイン | ひばりの会【川崎市南部地域(川崎区・幸区)】 »
産んでみてはじめて分かること
2005年03月27日
子供のことを可哀想と思うことが差別なのだろうか?
この子の将来を考えると涙が出るのは、この子をただこの子として受け入れていないのではなかろうか?
わたし自身、そう自問自答することがしばしばあります。
大人になるにつれて、世間の常識、モラル、それ自体が自分自身を縛り付けているんじゃないか?という気さえしてくるくらいだ。
障害を持つ子を産むということは、最初は辛いし、誰でも涙を流し、「なんで!?」という気持ちになるのは酷く当然なことだと思います。それを差別だと考えるならば、泣くことすら許されなくなってしまう。
わたし自身、あまり深く考えてこなかったけれど、一緒に娘と過ごすことで少しずつ答えが見えてきたんです。
「答えなんてないんじゃないか」という答えが。
あまり自分自身を差別的だと自虐的になるよりは、差別的だと思う自分に気付いたこと自体に意味があるんじゃないかな。それすらも気付かない人って、世の中たくさんいると思うんですよ。
今まで自分が思っていたことは全て偽善だったことを認めるのって、そう簡単じゃないと思います。だからこそ、意味があるんじゃないかと。
なんだか、宗教めいて申し訳ないのですけれど、この世に生を受けた以上、生まれた子供には必ず意味があると思うし、子供は障害があることを承知で生まれてきたチャレンジャーで、その子は、私たち夫婦の元に生まれたいと思ったから生まれてきたんだと思っています。自分が生まれてくることで、両親が泣いて苦しむことも承知で生まれてきたのだと思います。
わたし自身、まだまだ修行不足の身ではありますが、それでも、この特別な子と過ごす毎日は、とても楽しく思っています。(イヤな時もありますけどね(^-^;)
この子を産まなければ分からなかったこと、たくさんあると思います。
娘を授かったことで、なんだか、わたし自身、すごく人間的になれたような気がします。
みんなの優しさに触れることが出来た、逆にイヤなこともあったけれど、それもまた人間。人間なんだからしょうがないさ~という変な割り切りが身についてしまったというか。
はじめは、差別なんじゃないかという自分に嫌気がさすかもしれませんけど、いつの間にか笑って過ごしている自分に気付くときがあると思います。
それでいいんじゃないかな~って思いますよ。
トラックバック
関連性のないトラックバックは削除する場合があります。
このエントリーのトラックバックURL:
